10万人以上の人々が命を落とした関東大震災。家屋が倒れ、町中に炎が上がる混乱の中、関東圏で軍隊と警官、自警団がおよそ6千人の在日朝鮮人を殺害したと言われている。当時の様子を描いた蒔絵に、凄惨な虐殺の様子が生々しく描かれている。なぜ虐殺は起きたのか。同じ過ちを繰り返す恐れはないのか。多くの在日コリアンが住む川崎市で虐殺の歴史資料を収集している一人の男性を取材した。
関東大震災では川崎でも虐殺が起きた
神奈川県川崎市の南部に位置する川崎区桜本は、在日コリアンが多く住む町として知られている。川崎市となる前の1923年、田島町と呼ばれていたこの場所でも、関東大震災のときに虐殺が起きたと言われている。大学時代からこの町に住む山田貴夫さん(78歳)は、震災当時の新聞や証言集などを丹念に集め、記録をまとめている。わかったことは、虐殺された人が4名、重症者2名。そのうち、日本人で朝鮮人と間違えて殺された人が1名、恨みをかっていた人から朝鮮人だと嘘の情報を流され怪我をした人が1名だという。
虐殺が起きる前から憎悪や差別が広がっていた
虐殺と関係のある場所を山田さんに案内してもらった。虐殺が起きた富士瓦斯紡績工場は、現在は川崎競馬場となっていた。当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言飛言を鵜呑みにした人たちが、正門近くに井戸を汲みに行く途中の朝鮮人らを殺害したと言われている。次に案内されたのは、川崎競馬場から2kmほど離れた場所にある新田神社。ここは当時の町長らの働きかけで、命を狙われていた朝鮮人を160人〜180人匿っていたことが分かっている。ただ、いずれの場所にも事実を伝える掲示板などはなかった。
虐殺の背景にあったものはなにか。関東大震災が起きる4年前に「三・一独立運動」が起き、朝鮮半島では、日本の植民地支配に抵抗する朝鮮人の独立運動が広がっていた。運動の勢いを恐れた日本では、虐殺が起きる前から朝鮮人への「警戒心や憎しみを植え付けるような言論がなされたこと」が一番大きな背景だと山田さんは指摘する。
100年前の出来事は、現在に繋がっている
川崎市は2019年、日本で初めて刑事罰の伴ういわゆる「ヘイトスピーチ禁止条例(川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例)」が施行された。これにより、多くのヘイトスピーチがなくなったが、それでもまだ一部の団体が、在日コリアン排斥を狙う凱旋活動を続けている。その度に、抗議する市民が集まり、駅前では、激しい衝突が起きている。
山田さんも少し離れた場所で抗議している。「言い争いを怖いと感じる人もいるだろうから」と前置きした上で、「我々は静かにスタンディングしたりチラシを配ったり」「彼らの主張の矛盾や、自分たちの考え方を伝える活動をしています」と意図を説明した。過去にヘイトスピーチが行われていた場所では、読書をして過ごす人たちもいる。川崎駅前読書会の木村夏樹さんは「ここは街宣をする人には非常に都合のいい場所」と話し始めると、この場所はバス停から電車に乗り換えるために桜本の在日コリアンがたくさん通る場所だと説明。その人たちに向けてヘイトスピーチがなされていた場所だという。「我々はそれが許せません」「その為にここで監視活動をしています」と力を込めた。差別を許す歴史を断ち切りたい。それぞれが、それぞれの方法で、ヘイトスピーチに立ち向かってきた。
「希望が今日またこの川崎の地で輝きが増した」
10月、ここ川崎で、ヘイトスピーチをめぐり、画期的な判決が言い渡された。顔と名前を出して差別と闘ってきた川崎市在住の在日コリアン3世である崔江以子さんに対し、インターネット上で「祖国へ帰れ」「差別の当たり屋」などと投稿したことは違法だとして、投稿者に対し損害賠償を求めた裁判で、横浜地方裁判所川崎支部は投稿者の男性に194万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。判決後の記者会見で崔さんは「2016年にヘイトスピーチ解消法ができて本当によかった」「ある被害に対して法律ができるということがこうやって被害を止めるために機能するということ」「あの法律の希望が今日またこの川崎の地で輝きが増したと受け止めています」と喜びを噛み締めた。これは長年この町で共に差別と闘ってきた山田さんにとって大きな意味のある出来事だった。この判決を受けて後日、山田さんに気持ちを訊ねると「ほぼ全面勝利。かなり評価できる画期的な判決だったと思いました」。そう語ると山田さんは手元にある裁判の結果を伝える紙面を切り抜き、そっとファイルに綴じた。山田さんの桜本での地道な活動は続く。