長崎に原爆が投下された際、爆心地から12キロ以内にいながら、国が指定した援護区域外であるとして「被爆者」と認められていない、いわゆる「被爆体験者」44人が長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付などを求めた裁判で、長崎地裁は9日、原告のうち死亡した2人を含む計15人を被爆者と認める判決を言い渡し、県と市に手帳交付を命じた。ほかの29人の訴えは退けた。
長崎地方裁判所の松永晋介裁判長は、爆心地から半径12キロ以内に住んでいた人を対象に行われた調査で、雨が降ったという証言が相当数あったこと長崎市の一部の地域について、いわゆる『黒い雨』が降った事実を認め、「この地域では、原爆由来の放射性物質が降った相当程度の可能性がある」と指摘。原爆投下時に旧古賀村、矢上村、戸石村にいた15人を「被爆者」と認めた。
一方、そのほかの地域の原告も、灰などとして降り注いだ放射性微粒子を呼吸や飲食などで体内に取り込み、原爆放射線による健康被害を受けた可能性が否定できない」と訴えていたが、訴えは退けられた。訴えが認められなかった団長の岩永千代子さんは、「事実に基づいた判決とは言えない。お粗末だ」とした上で「放射線微粒子や内部被曝が関連している。命の限り戦います」と怒りをあらわにした。また同じく原告の山内武さんは「また広島と差別された。原告44名を分断した。体が続く限りまだまだ頑張ります」と悔しさを滲ませた。
今回の裁判では、被爆者援護法1条3号に記載されている「身体に原爆放射線の影響を受けるような事情の下にあった者」に原告が該当するかが争点だった。2020年7月には、広島の原発投下当時、「黒い雨」に遭った84人全てを被爆者と認めた広島高裁判決が確定し、広島では40キロの広範な地域が、援護の対象へと広がっていた。