ロシアによるウクライナへの軍事侵攻がはじまってから1か月がすぎた。国連のまとめでは、戦火を逃れ国内外へ避難した人たちは400万人を超えた(4月1日時点)。日本も正式にウクライナからの避難民の受け入れを表明。出入国在留管理庁によると337人が日本に避難している(4月1日時点)。避難してきた人たちは、いま、どんな支援を必要としているのか話を聞いた。
3月29日、東京・武蔵野市役所ではウクライナを支援する演奏会が開かれた。ウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者として日本で活動するカテリーナさんが、平和への祈りをこめてウクライナ民謡など5曲を披露した。この演奏会の会場には、ウクライナの首都キエフから避難してきた母親のマリヤ・グジーさん(68)の姿もあった。「戦争がはじまり、祖国を思いながら歌うのは本当に苦しくつらかったが、きょうはウクライナから無事避難してきた母が目の前で聞いてくれている。日本の皆さんに感謝したい」と、カテリーナさんは語った。
「命さえあれば」避難ためらう母親を説得
2月24日、ロシアによる軍事侵攻がはじまり、マリヤさんが暮らす首都キエフにもロシアの攻撃が迫りつつあった。「ロシアの砲撃がいつ、どこに直撃するのか分からず、おびえる日々が続いた」と、マリヤさんは振り返る。日本で暮らす娘・カテリーナさんは数時間おきに母親に連絡し、安否を確認すると同時に日本への避難を訴え続けた。地下シェルターに潜み、食べるものも満足にないなか、それでもマリヤさんにとって“キエフを出る”ことに迷いがあったのには理由がある。
チェルノブイリ原発事故、ロシアの軍事侵攻“2度”町を追われて…
マリヤさん、カテリーナさん一家はかつて、ウクライナ北部の街プリピャチで暮らしていた。家から2.5キロのところにはチェルノブイリ原発があり、父親は原発作業員の作業着を除染する仕事をしていた。1986年4月26日、原発事故が発生し、一家は町から強制退去させられ、首都キエフに移り住んだ。被災者住宅に住むには「原発で働き続けること」が条件とあって、父親は除染の仕事をつづけ、60歳の時にがんで亡くなった。マリヤさんにとって、夫が命を削って家族に遺した家を離れたくないという気持ちが強かった。
「ロシアの攻撃が激しさをまして、逃げるには最後のチャンスだった」。マリヤさんは3月6日にキエフを脱出。気温氷点下のなか、ロシアの攻撃を避けるために夜中に4時間歩き続け避難所のあるポーランドへと向かった。そして3月21日、日本へ到着した。キエフを出てから、すでに2週間がたっていた。「避難は地獄のような道のりだった。もう誰にも こんな思いをさせたくない」とマリヤさんは話す。
日本避難の“大きな壁”…高額な渡航費
娘のカテリーナさんは「瓦礫の下敷きになるんじゃないかと、もう心配する必要もなくなった」と安堵の様子を見せた。一方で、日本に避難したくても出来ない人たちが大勢いると訴える。日本への避難の“障壁”となっているのが、高額な渡航費だ。カテリーナさんによると、通常往復8万円ほどの渡航費が、コロナ禍の減便や原油高の影響もあり3倍以上に膨れ上がっているという。公演や翻訳作業の仕事を増やし、さらにファンからの寄付もあり母マリヤさんの渡航費を工面できたと話す。また、これから日本での生活が始まるうえで滞在ビザや保険、住宅、生活費など問題は山積みだ。日本政府は3月16日に「ウクライナから避難民を積極的に受け入れる」と表明しているが、受け入れ制度や具体的な支援についてはこれから検討するとしている。ヨーロッパなどではウクライナから避難する際に、鉄道や渡航費を無料にする支援がすでに始まっている。「身一つで避難し、お金をおろすこともできなかった人たちが大勢いる。日本で安心して暮らせるように力を貸してほしい」とカテリーナさんは訴える。
■■ウクライナ避難民の受け入れについての情報■■
【出入国在留管理庁】
https://www.moj.go.jp/isa/support/fresc/ukraine_support.html
【東京都多文化共生ポータルサイト:ワンストップ相談窓口】
https://tabunka.tokyo-tsunagari.or.jp/info/2022/03/post-86.html
■■ウクライナ民族楽器バンドゥーラ奏者 カテリーナさん情報■■