早川由美子さん(ドキュメンタリー映画監督)
早川由美子さん(ドキュメンタリー映画監督)
郵便局などの勤務を経て、2007年、ロンドンに留学。ジャーナリズムを学ぶ傍ら、英国の国会前でテント暮らしをしながら、反戦活動を続ける人々を取材し、ドキュメンタリー映画『ブライアンとパーラメントスクエアの仲間たち』を制作。2009月2月に帰国し、上映活動に取り組む。G8メディアネットワークにも参加。
ブライアンとの出会いは?
ロンドンに住み始めて1月半ほど経ったころ、観光していて偶然出会いました。ブライアンが暮らしている路上に一種のコミューンが出来ていて、それが面白くて通うようになったのです。映画にしたいと思ったのは三ヶ月ほど経ってから。彼らが逮捕される姿を何回も見ているうちに、これはまとめて発表しなければと。声をあげる人たちに対して、国とか警察はこんなに全力を挙げて押し潰そうとするのかと、びっくりしたのです。
もともとは郵便局員?
そうなんです。不景気だったし、安定した職業ということで公務員を目指していました。三鷹の郵便局で五年間働いたのですが、最後の一年間、六本木のゲストハウスで暮らしたことで人生が変わりました。3Kのアパートに女の子15人。住んでいるのは出稼ぎの外国人や、ホステス、劇団の女優という環境で、自分も飛び出したいなと思うようになって。沖縄料理が好きだったので、「西表島に移住します」って辞職届に書いて辞めました。(笑)
でも編集の仕事をやりたくなって、半年で再び東京へ。結局、入ったのはマニュアル制作の会社です。そこで働きながら、土日に取材をして、友達のミニコミ誌に書くようになりました。
ビデオとの出会いは?
そんな生活が4年ほど続いた06年、公園のベンチに関する記事を書きました。真ん中の仕切りはホームレスを排除しているだけじゃないかと思って。三ヶ月かけて100人ほど取材したのです。でも、どこも採用してくれない。そこで、発足間もないオーマイニュースに投稿しました。そうしたら、「ホームレスなんて自分の責任でなったのに、かばうのは何事だ」って大炎上しちゃって。驚いているうちに、TBSのディレクターさんが私に興味を持ったのです。取材を受けるうちに、「映像で表現するってすごい!」と感じて、ロンドン行きは決めていたので、すぐにビデオカメラを買いました。最初は嬉しくて何でも撮っていましたね。私には技術もないし、カメラも5万円。でもドキュメンタリーというのは、その場に通い続けることが大事だと信じて、取材を続けました。映画を作って辛抱強くなったと思いますね。