土屋 豊さん(映画監督/ビデオアクティビスト)
1966年生まれ。1990年より短編ビデオアート作品を発表。1998年から自主ビデオの普及・流通プロジェクトビデオアクトを主宰。主な監督作品は、「新しい神様」(1999)「PEEP”TV”SHOW」(2003)、「幽閉者たち」(2006)。2007年には「遭難フリーター」(監督:岩淵弘樹)をプロデュース。
土屋さんとビデオカメラとの出会いは?
20年以上も前ですが、谷川俊太郎さんという詩人とビデオレターの交換ができるワークショップで初めてビデオカメラに触りました。谷川さんと寺山修二さんがビデオレターを交換する作品を見て、とても面白かったので参加したんです。その作品の中で、谷川さんは着ている物をどんどん脱いで、脱いだ物を「これは僕のジャンパーです」とか「靴下です」って、カメラの前に置いていくんです。その最後に画面に出てきたのがブルーシート。するとカメラの前もブルーになっちゃうんですよ。谷川さんは「これは僕の青空かもしれない」と。そういう行為とか感情みたいなものが自分にとって青空なんだっていうことを、カメラ一台さえあればできてしまう。すごいチープだけど、表現力として非常に豊かなことができるなと思いました。
初めはわからないなりに色々やってみました。例えば玄関に置いてある一個の靴と新宿の駅の雑踏を被せたり。でも、それだけで文章化できない映像ができるんですよね。その孤独感とういうか。構成をきちっとしても、その時に撮った映像によって文字化できない感情が映像に表れてくる、そんなところがすごい。言葉にできなかったことを作りながら発見できるという意味で面白いですね。
今春公開の「遭難フリーター」をプロデュースされていますが見どころは?
当事者性というところがこの作品の核だと思うんですけど、当事者と言っても明日食べる物がなくてどうにもならないという若者ではない。お金が無いとは言っても、底をついたという感じでもない。そんな若者が実は非常に多いわけですね。でもそんな彼らはニュースになりにくい。ニュースに出てくるのは、例えば派遣村に行かねばならないような人。
岩淵くんもマスメディアにそのように描かれようとしていたけど、岩淵くん自身がそれに対してちょっと違うんじゃないかと。マスメディアが描こうとしている欺瞞、偽善的な当事者の作られ方と実際の違いを表しながら、今の多くの若者たちの当事者性を表現しているリアリティが見えてくる作品だと思っています。
OurPlanet-TVのワークショップ「DIYビデオのアトリエ」ではファシリテーターをしていただきます
今回の遭難フリーターでいうと、ひとりで撮った映画が渋谷のユーロスペースでロードショーっていうのは、かつてならありえない話。これから初めて作る人であっても世に一本の作品を出したら、その人はもう素人ではないんですね。自分なんかが作れるんだろうか、という考え方じゃなくて、カメラがあれば同じ土俵で勝負できる環境が整っていることを前提にした上で、それでもひとりで作るのは辛い部分もある。映画に正解はないから、一緒に悩みながら共同作業を楽しめればいいなと思っています。