福島第一原発事故
2020/03/02 - 10:43

伊達市民の被曝解析データを前規制委員長へ提供〜宮崎早野論文


宮崎氏や早野氏ら、市の関係者が集まった保原中央交流館
伊達市民の被ばくデータを同意を得ずに論文に使用していた問題で、論文の著者が投稿前の解析データを原子力規制委員会の田中俊一委員長(当時)に提供していたことがわかった。これらの解析結果は、「帰還困難区域」の避難指示解除に転換する国の政策に進めるにあたり活用した可能性がある。

 


「未発表データ」と朱書きされた資料。クリックすると全文書をダウンロードできます

「現在、伊達市のデータをまとめて論文化する作業が進行中ですが、「行政関係者に参考になる情報なので、論文投稿前であっても閲覧できないか」というお問い合わせがありましたので、結果の抜粋を作成いたしました。」

「未発表データ」と朱書きされた文書には1ページ目にこう記されている。電子データの文書タイトルは「田中委員長向け.key」。アップル社が開発しているプレゼンテーションソフト「Keynote」で2015年10月21日に作成されている。

14ページにわたる資料には、ガラスバッジやホールボディーカウンターで計測した伊達市民6万人分の実測値をもとにした解析結果が並ぶ。早野龍五東大教授(当時)や宮崎真福島県立医科大助教(当時)が翌年以降、英国の科学雑誌に投稿した論文内容と一部を除きほぼ重なる。

早野氏が作成した「田中俊一委員長向け資料」


田中俊一委員長向け資料を議論した伊達市の保原中央交流館青少年室

宮崎氏や早野氏は2015年10月21日、保原中央交流館の青少年室に集合。伊達市の半澤隆宏直轄理事(当時)や多田順一郎市政アドアイザー(当時)とともに、午前10時半から午後5時まで丸一日かけて、伊達市民の被曝データ分析に関する打ち合わせをした。その際、「田中俊一委員長向け資料」についても検討。その夜、田中氏にデータを送付したという。この段階では、論文の研究計画申請書を福島医大の倫理委員会に提出していなかった。

早野氏によると、田中氏から伊達市に依頼があったという。一方、田中氏は「早野さんとは、委員会を退任して飯舘村にきてからのコンタクトで、投稿前の原稿を受け取ったこともありません。」と述べ、「まったく心当たりのない内容」と否定している。

2015年10月21日のミーティングの議題に「田中俊一委員長向け資料」とある。

帰還困難区域の「避難解除」に活用か

東京電力福島第一原子力発電所事故後、「避難指示」が出された自治体は、3つの地域に再編された。線量の比較的低い地域は順次、避難指示が解除されたが、年間50ミリシーベルトを超える「帰還困難区域」は当初、除染せず、立ち入りも許可しない計画だった。

ところが政府は方針を転換。2017年に「福島復興再生特別措置法」を改正し、帰還困難区域内に避難指示を解除できる「特定復興再生拠点区域」を設けることを定め、翌年から本格的に除染に着手している。

早野氏が作成した解析データは、この方針転換に向けた説得材料とした活躍した可能性がある。田中氏は、データを受け取った翌月の11月24日、高木経産副大臣(当時)と面会。「国が避難解除をすることが必須条件だ」と進言した。

関係者へのメールで田中氏は、「帰還困難区域の見直しについては、まず区域見直しの表明は当面はあまり強調せずに、詳細な空間線量マップを作成し、実態として避難解除できるということを関係者に示しつつ、原防会議での決定に持ち込む」と記載。「規制庁からマップを示せば、それを梯子に(自民党東日本大震災復興加速化本部本部長の)大島議員まで通すこともできるようになると思います、願っています」と帰還困難区域の避難指示解除へ対する並々ならぬ意気込みを記していた。

さらに「12月2日には、(いわき選挙区選出の)吉野、森の両議員と会って、高木副大臣との話を中心に福島の状況を報告します。長官には動向をお願いしました。」と国会議員へも働きかけていた。実際、詳細マップについては、高木副大臣との面会翌日にあたる11月25日、規制委の定例会合で突如、事務方に指示。翌年2月には、詳細マップを盛り込んだ報告書を作らせている。


「高木副大臣用(田中)」「廃棄処分」という添付ファイルは「存在しない」という。

「夜ノ森の桜並木」を「帰還のシンボル」に
田中氏は「帰還困難区域」解除に向け、原子力規制委員会に出向していた環境省職員らと連携。丸川珠代環境大臣(当時)を、桜の名所で知られる富岡町夜ノ森の帰還困難区域を歩かせるパフォーマンスにも一枚噛んでいたと見られる。当初は、個人線量計のデータを公表し、線量の低さをアピールすることを計画。規制委で被曝防護を担当している伴信彦委員の同行も視野に入れていたが、町民の反発を懸念して断念した。当時のメールには、「大目的は、「夜ノ森の桜並木」を自由に入れるようにし、帰還のシンボルとする」などと記載されている。

早野氏の文書は、帰還困難区域の避難指示解除を進める際に活用したのではとぶつけたところ、田中氏は「国会議員とも、ご指摘のようなことで話をしたことはありません。そもそも、規制委員長の立場でそのような政治がらみの相談することなどできません。」と否定。「私の一存であれば、はるか前に全面的に解除してます。」としている。

放射線審議会への期待〜線量の見直しに道筋
ちなみに、「宮崎・早野論文」が国の報告書案に正式に盛り込まれたのは2018年7月の第141回放射線審議会。事務局が作成した「東電福島第一原子力発電所事故に関連して策定された放射線防護の基準のフォローアップについて」という資料の中に登場している。

その1年前の6月、退任前の田中氏は第134回放射線審議会総会に出席。放射線審議会委員を激励した。その時、配布しようと準備していたが、事務方に止められたという文書「放射線新議会の望むこと」にこんな記載がある。

「予測による線量評価は個人線量計の測定値と比較して4倍過大になることが判明したが、未だにそのままになっているため過大な被ばく線量予測が避難区域の解除、避難住民の帰還の大きな障害になっている。」

異例の挨拶をした2ヶ月前の4月には、原子力規制庁の提案により、放射線審議会の機能強化を謳う法改正を行われていた。これにより、放射線審議会は、他の省庁からの諮問に限らず、独自に調査や提言を行える権限を有した。

放射線新議会の甲斐委員に宛てたメール
配布しようとしていた「放射線新議会の望むこと」


早野氏が作成した「田中委員長向け資料」5ページ。4分の1という数値が示されている。

原発事故後いちはやく伊達市に入り、市政アドバイザーに就任した田中氏は2011年12月、「第7回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に仁志田昇司伊達市長とともに登壇。「空間線量率から正確な被ばく線量は評価できない」と指摘した上で、「伊達市では既に8000人の子供たちの個人被ばく線量のモニタリングを実施してる」「これまでの結果は、空間線量率から計算によって評価した被ばく線量と比べ、実測値は2分の1から3分の1以下となっている」と発言していた。

田中氏は、原発事故で唯一全町避難が続いていた双葉町の放射線量等検証委員会に就任している。双葉町は3月4日、他の自治体に先駆けて帰還困難区域の一部の避難指示解除をした。


「低線量被ばくのリスクの関するワーキンググループ」の田中俊一氏発表資料抜粋。傍線OurPlanetTV。

低線量被ばくのリスクの関するワーキンググループの田中俊一氏の資料

https://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai7/siryou1.pdf

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