福島第一原発30キロ圏内にあり一時「全村避難」をしていた川内村。他の自治体に先駆けて「帰村宣言」が出され、賠償金などは既に打ち切られている。仮設住宅で自治会長をしてきた志田篤さんは、年越しを前に、全国に「米の緊急支援」を呼びかけ、クリスマスに仮設住民に配布した。家族とバラバラになり村に戻ることができない高齢者や障害者たち。政府が帰還促進政策を進める中で、取り残されたまま置き去りにされている川内村、仮設住民の今を取材した。
賠償打ち切りが生活弱者の台所直撃
川内村は、2012年1月に、村長が他の自治体に先駆けて「帰村宣言」を行い、4月には、川内村役場機能・小中学校が川内村に戻った。避難解除に伴い、8月には一人当たり月10万円の損害賠償が打ち切られ、更に今年3月には、20万円の生活保障も打ち切られている。
しかし、完全に村に戻っている人は必ずしも多くない。現在でも、完全に川内村に居住場所を戻している帰村者は約535名、週4日滞在している帰村者は約920名、村外で借上げ住宅に生活している人が約1600名、仮設住宅暮らしが約680名となっている。なかでも仮設住宅で暮らしている世帯は、高齢者や障がい者など、仕事がなく、年金暮らしの世帯が大半だ。
川内村に帰りたくとも、家族がバラバラになる中で、車がない、お金がないなどといった理由で、帰還することは難しい状況に置かれている。賠償金は使い果たし、年金や貯金を切り崩しての厳しい生活。人間関係も厳しくなっている。
3回目の年越し前に米の緊急支援呼びかけ
震災後、仮設住宅で自治会長をやってきた志田篤さんは、NPO法人昭和横丁を立ち上げ、住民たちの相談に乗り、支援活動をし続けて来た。生活支援が打ち切られ、仮設住宅の住民の生活状況が悪化している中、年越し前に、全国に「米の緊急支援」を呼びかけた。
もともとそれほど豊かではなかった川内村。しかし、震災前は、どこの世帯も自宅には田畑があり、秋の収穫を終えると、1年分の米が蓄えられていた。しかし、仮設暮らしとなり、自分たちで米や野菜を作ることもできず、心細い暮らしとなっている。
緊急支援を呼びかけた志田さんはこう話す。「そんなに生活が困窮しているなら、村に帰って生活すればと考えるかもしれないが、地域の崩壊、教育の崩壊、医療の崩壊、高齢者は村に帰っても単独で通院できない」「解除して、住民が帰らない解除て意味があるのか」
支援に関する連絡先
郡山市南1丁目94 南仮設住宅A-4-10 南仮設住宅自治会 志田篤
080−1387−2302(志田さん)
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「復興」から置き去り〜川内村仮設住民・3回目の年越し
使用曲
PodingtonBear「Brightening」(Creative Commons)