OurPlanetTVの理事でもあり弁護士でNPJ(news for people in Japan)の編集長だった日隅一雄さんが6月12日、都内で亡くなった。49歳だった。日隅さんは、昨年3月の東京電力福島第一原発事故直後から、政府や東電の責任を追及。昨年5月下旬に、末期胆のうがんで余命半年と告知されていた。
日隅さんは広島県福山市出身。岡山県の高校を卒業後、京大法学部に進学。産経新聞記者を経て1998年に弁護士登録。NHK番組改変訴訟や沖縄返還密約情報開示訴訟など、グリーンピースクジラ裁判など、「表現の自由」や「知る権利」に関する訴訟に多く携わり、日弁連人権委員会では、表現に自由を使う第5部会の部会長を務めていた。
憲法の改正につながる国民投票法について国会審議が始まった2005年。日隅さんは匿名で「情報流通促進計画〜ヤメ蚊」ブログをスタート。国民投票法の問題を日々綴るとともに、メディア政策にも目を向け、横浜で開催された市民メディフェス2006(全国市民メディア交流集会で、メディアアクセス権の制度化に関するシンポに参加。以来、市民メディア業界で最も信頼できる法律家として、多くの市民メディア実践者やメディアアクティビストから絶大な支持を受けていた。また翌年の2007年には、当時、自民党の小泉政権下で議論が行われていた「情報通信法」がインターネット規制につながる恐れがあることを早くから指摘し、インターネット規制に関する内容を削除させる原動力となった。
2008年には、自らも、弁護士の仲間とともにインターネットメディア
「NPJ(News for the People in Japan)」を設立。編集長を務める一方、同年、メディア政策を考えるネットワーク「ComRihts」に参加し、日本のメディア政策の抜本的な改革を目指して、様々なシンポジウムで発言を重ねるようになる。
ここに掲載されている映像は、民主党政権が発足して直後のシンポジウムでの発言。当時、放送行政の政府からの独立やフェアユース、クロスオーナーシップの規制などをマニフェストで掲げていた民主党に対し、強い期待を抱いていた。
昨年3月5日に、OurPlanetTVの理事に就任。直後に、東日本大震災が発生し、以降、連日のように東京電力や政府の統合本部、統合対策室の会見に参加し、東京電力や政府に対して、情報開示や工程表を示すよう求め続けた。今年1月、これらの活動をまとめた「検証 福島原発事故・記者会見」(共著)を出版、4月には「『主権者』は誰か」(共に岩波書店)を刊行したほか、亡くなる直前まで講演に出向き、民主主義の大切さを語り続けた。
日隅さんのご冥福を心からお祈りします 日隅さんは、表現の自由に関して、また市民のパブリックアクセスやコミュニケーションの権利について、最も深く理解している法律家でした。そのため、私たちOurPlanetTVは、2007年頃から、様々な側面で助言をいただくなど、無償の「顧問弁護士」として、活動を支えていただきました。 2007年、政府自民党が、ブログを含めたインターネットコンテンツ全てを総務省の管理下に置く「情報通信法」の中間取りまとめを発表して以降は、メディアに関わる様々な政策の改善を求める仲間として、より強い関わりを持つようになりました。 民主党政権が、独立行政委員会(日本版FCC )の設立やクロスオーナッシップ規制の導入をマニュフェストに掲げ、与党となった2009年9月、私たちはこの新しい政権のメディア政策に大きな期待を抱きました。その時の日隅さんのスピーチが上記の映像です。 しかし、原口大臣肝いりでスタートしたメディア改革のためのテーブル「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」は、独立行政委員会設置のための本質的な議論に踏込まないまま、2010年12月に、独立行政委員会設置やクロスオーナーシップ規制などに関する抜本的なメディア改革を行わない方向性を発表。民主党のマニフェストは完全につぶされました。 日隅さんは、この「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」で、日弁連の代表として素晴らしい意見を発表。また、忙しい時間を割いて、ほぼ毎回、傍聴席に姿を現すなど、熱心に動向をウオッチされていました。 「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」が十分な役割を果たさないままに終了し、メディア改革の希望が失われた2011年の1月、私は一つの決心をしました。主要のマスメディアと総務省の官僚につぶされた放送行政の改革は、おそらくあと30年はかかるだろう。日本でもっともメディア政策に精通している日隅さんをOurPlanetTVの理事に迎え、このメディアの問題をより国民的な運動に広げる必要があると。 日隅さんにその思いを共感いただき、OurPlanetTVの理事に就任いただいたのが2011年3月5日でした。その直後に、東日本大震災が発生。日隅さんは連日、東電の会見に通うこととなります。 私は3月15日に初めて、インターネットで中継される東電の会見で、日隅さんの声を聞いた時、心からほっとしました。日隅さんが東電の会見をカバーしてくれるなら、私たちは違った角度で取材を進めることができるます。私たちは、事故直後から、子どもたちの被ばくや健康に関する問題に取り組んできましたが、それも、日隅さんに東電会見を任せることができたからです。 このように、私たちは、日隅さんをいつも頼ってきましたし、また、様々なことを教えていただき、安心を得てきました。このため、日隅さんが余命を宣告された時は、あまりのショックに、しばらくの間、立ち直ることができませんでした。また、ともに、メディアのシステムを改革するつもりでいた同士を失うのかと思うと、絶望的な気持ちになることもありました。 1年間をかけて、徐々に心の整理をつけ、今、私たちは、日隅さんから預かった様々なものを、大切に次の時代に繋いできたいと前向きに考えています。日隅さんが執筆された「検証 福島原発事故・記者会見」も「『主権者』は誰か」も若い世代に向けて書かれたものです。前者は、私が授業を教えていた早稲田Jshoolの学生たちが制作したインターネット番組を見て、執筆を決めたものですし、また、後者も同じように、若い世代へのメッセージでした。その日隅さんの思いを多くの人に共有して欲しいと思い、OurPlaentTVでは、これまで数年間の間に撮りためた日隅さんの映像を引き続き配信していきたいと思います。 日隅さんが旅立たれたのはとても残念ですが、日隅さんは私たちの中で生き続けています。これまで走り続けてこられた分、安らかに静かに眠って欲しいと心から願っています。(OurPlanetTV代表理事 白石 草) |
<掲載の映像>
2009年9月22日、TOKYOメディフェスでの日隅さんのスピーチ
「デジタル時代のメディア政策とは~実現するか?!市民参加型のメディア独立機関」
【パネリスト】日隅一雄(弁護士・NPJ)、内藤正光(元総務副大臣)、岩崎貞明(メディア総合研究所)ほか
【主催】ComRights(コミュニケーションの権利を考えるメディアネットワーク)
http://comrights.org
<日隅一雄さん出演番組>
2008年1月1日 配信
「情報通信法でテレビとネットはどう変わる?」
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/209
2010年4月20日 配信
記者会見の完全開放を求めてアピール~記者会見(1)
6分20秒よりコメント
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/492
2012年1月18日 配信
「原発とメディア〜日本のメディアはなぜ事実を伝えないのか?」
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1298