福島第1原発から北西に50キロの距離にある宮城県丸森町筆甫地区。いわき市や南相馬市よりも放射線の数値は高いものの、復興庁が策定した子ども被災者支援法基本方針案で「支援対象地域」から外された。原子力損害賠償紛争審査会の「自主的避難対象地域」からも外されている。
その壁となっているのが「県境」だ。福島県の伊達市と相馬市に接する筆甫地区は、飯舘村から車で10分の距離にある。宮城県と福島県をわける道は幅2メートルもない狭い農道で、
「原発さえなければ」と書き残して亡くなった相馬市の酪農家の家にも隣接している。
今年5月、筆甫地区の住民698人が福島県内と同水準の損害賠償を求めて、原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てを行った。福島県外での集団申し立ては初めてのことだ。住民の9割が参加している。
山の中で自然とともに暮らしてきた筆甫の人々。これまでは、ほとんど買い物をしない自給自足の生活で、風呂は薪で炊き、あらゆるものを手作りしてきた。しかし、2011年に筆甫地区で計測された川魚からは1キログラムあたり2042ベクレルの放射性セシウムが検出されたほか、タケノコからは1866ベクレル、椎茸からは1570ベクレルが計測され、山との暮らしは崩壊した。
これまでの伝統的な里山暮らしが全て壊されたが、国からの支援は、福島県ではないとの理由で、あらゆる面で切り捨てられている。被災者として認められず、苦しい思いを募らせる筆甫地区の人々を取材した。